人の足を引っ張りあうような世の中に疲れていませんか。
今日は、『競争』について考えてみます。
人間は生まれたときから激しい競争の中にいます。勉強や仕事を通しても厳しい競争に晒されていると感じている人は少なくないと思います。
競争の中では人間は常にストレスを感じることになります。他人と比較され、自分は優位であることをアピールし続ける、あるいは結果を出しつづける必要があります。
競争が好きな人もいるかもしれません。むしろその方がやる気が出るという人もいます。しかし、競争の中で比較されたく無いと感じる人も多くいることでしょう。
そもそも競争は必要な事なのでしょうか?
『弱肉強食』
この言葉が表す通り、強いものが弱いものを淘汰し、遺伝子的に優位な系統を残そうという自然の摂理があります。これは競争を行うもっともな理由です。
しかし、この考え方を突き詰めてしまうと、最終的に一人の最強の人間以外は必要の無い存在となってしまいます。世の中は一人の人間だけの力だけで何とかできるほど簡単ではないことは明らかです。
ここでまた考えてみましょう。競争と言われたときにどんな競争を想像しますか。
かけっこでの競争?国語・算数・理科・社会での競争?出世競争?普段何気なくやっているゲームなどもある意味他人との競争の要素が含まれていると思います。
競争と言ってもジャンルは様々あるのです。
あなたは、今まで競争をしてきた中で得意だったものもあれば、苦手だったものもあるでしょう。しかし、逆にその得意・不得意が分かったのは、他でも無い競争を行ったからなのです。
だんだん見えてきましたね。競争が必要な理由、それは自分の力を知るためです。
人は競争を通して、自分の立ち位置を把握します。自分の能力を理解します。そして、その後の自分の進路を決定するための材料とするのです。
もう一つ着眼点があります。競争のジャンルはたくさんあると言いました。これは正直探せば無限にあると思います。世界は広いですから。
つまり、あらゆる競争を経験すれば、確実にあなたが一番になれる競争を発見することができるはずです。もし発見できていないとしたら、今あなたがすべき事は、あらゆる競争に参加することです。
競争が必要な必要なもう一つの理由は、自分の一番を見つけるためなのです。
どうでしょう。いままで競争に嫌なイメージを持っていた人もいるかもしれませんが、案外悪いものでは無いと思えるのでは無いでしょうか。
競争に負けてもいいんです。それによって自分を知ることができたんですから。それでも、競争の舞台に上がりつづければ、きっと輝かしい将来が開けてくるはずです。
コメント
コメント失礼します…
良い記事ありがとうございます。
僕は逆に同じ意味で競争は必要ないと思いました。
つい先日職場で競争に疲れうつ病が再発しかけました。
しかし、あることに気付きました。
常に誰かと戦っている!
競争せず自分らしく仕事をすれば良いんだ!
僕は二ヶ月前に今の職場に入り仕事のこなす量はそこそこ早いっと言われてきました。
しかし、上には上がいる!
でも、ここで勝てたとして!
また、上には上がいる…
でも冷静に考えてどんなに頑張っても上には上がいるのです。
例えば幸せの尺度も人にとっては100人いれば100通りあります。
得意分野も人にとっては違う…
実は僕より仕事が早い人もミスが多いし…
ミスが無い僕でも速度はその人より遅い…
だから競争より自分が満足して競争を降りる方が矛盾してるけど…
競争に勝てる…
ってか競争の勝ち負けって自分の自己満足ではないでしょうか?
僕は数年前、委託のパン屋をやったことがあります。
新人ながら記録を作りました。
しかし、それでは終わりでは無いのに落胆して自殺を考えました。
そこでもやはり上には上がいるんです。
しかし、その上の人はさらに上を求めます。
どうでしょうか?
無限ループになります。
競争は成長できるけど実は諸刃の剣と同じです。
競争で強い人も弱い人もいるから僕の解釈では競争はしない人生もまた、ありでは無いでしょうか?
これは僕の意見ですが…
長文と僕の意見で失礼します。
YONEさん
本記事を読んでいただきありがとうございます。
また本気のコメント、こちらもありがとうございます^^
とてもしっかりしたお考えをお持ちで、私自身YONEさんの考え方に深く納得させられました。
私の記事の中では、ある意味競争を肯定するような書き方をさせていただきました。
それによって、自分の力を図れる・自分の一番(得意なこと)を見つけることができると結んでいます。
「皆どんどん競争をするべき」と受け取られる文章でしたら、私の文章力の問題で誤解を与えてしまったかもしれません。失礼しました。
私自身も、読んで字のごとくの”競い”・”争う”ような「競争」は必要ないと考えています。
私の経験も少しお話しさせてください。
私は、小学校・中学校の頃はある程度テストの点数が良い”優等生”の一人でした。
しかし高校・大学、そして社会人になるうちに周りに優秀な人間が増えていき、挫折を味わうことになります。
YONEさんと同じように、「上には上がいる。どう頑張っても一番にはなれない」とあきらめざるを得ませんでした。
精神的に非常に疲れ、しかも競争を意識するばかりに友人関係すら冷え切ってしまった時期もありました。
競争を意識している人って、やっぱり周りから分かるみたいです。
もう競争なんてしたくない!
競争が無い世の中になればいいのにと本気で思ったこともあります。
そこで、ふと思ったことがありました。
教科書に出てくるような偉人は、皆競争したいと思っていたのだろうかと。
もちろんナポレオンのような、競争をしてトップを上り詰めた人間もいますが、
多くの偉人は「この世の中に何を残せるか。どんな貢献ができるか。」
を本気で考えていたのではないでしょうか。
競争を意識していた自分がいかにちっぽけな存在かを思い知りました。
一番になる必要は無い。一番でなくとも社会に貢献することができる。
この考えができるようになってから、とても落ち着いた気持ちになれたと思います。
一つ意外なことがありました。
「どんなことをして貢献するか。」
ということを必死になって考えたのですが、役に立ったのが競争していた時の記憶なのです。
他人よりも上手にできた。
他人よりも早くできた。
競争の中で知った自分の強みが、世の中に貢献できる分野であることに気づかされたのです。
私はYONEさんのように器用なタイプではありませんが、将棋などの何手先も読むようなことをじっくりと考え、戦略に落とし込むことが好きです。
資格試験の時にも何日も前から、どのような参考書をどの順番で解けばよいかなど作戦を立ててから望みます。
昔は友人と競うように資格を取って、その結果に一喜一憂したり、友人を妬んだりしたどうしようもない時期がありましたが、
いまでは仕事の中でお客様からこんな方法があるのかと喜んでもらえることもあります。
競争に明け暮れていたあの頃の副産物と言えると思います。
つまりは、
“競い”・”争う”ような競争ではなく、
“自分が何で貢献できるか知るための”競争をすることができれば、
皆幸せになれるのではないかと考えています。
ここまでくると、もはやそれは”競争”ではないのかも知れませんね。
“腕試し”や”自己研鑽”というのが正しいのかもしれません。
もしかしたらYONEさんが言わんとされているのはそういうことでしょうか?
少なくとも、心をかき乱すような”競争”は必要ないですね。
今回YONEさんのご意見をうかがうことができ、改めて考えさせられました。
とても有意義なご意見をいただき、重ねて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。