こんにちは、しましまです。
今日は久しぶりに世界遺産の話をします。しましまは、世界遺産検定2級を持っています。そして現在も、世界遺産検定1級の勉強をしています。
おもしろ資格として人気のある世界遺産検定ですが、「その資格を取るメリットは何か?」「世界遺産を勉強して何になるの?」と聞かれると実はちょっと困ります。
世界遺産検定を持っていても、就活で有利になるかと言えば、あまりそうではないと思います。旅行業界ではネタになるかもしれませんが、TOEICの勉強をした方が実用的です。外国人と仲良くなるきっかけには、なるかもしれません。でも、世界遺産についてこれほど熱心なのは世界でも日本人くらいです。もしかしたら世界遺産の話を聞かされた外国人はぽかんとしてしまうかもしれません。
年々増え続ける世界遺産。数は1000をゆうに越えています。「世界遺産を覚えるなんて不毛だ」と思う人は多いでしょう。
今日は、私がなぜ世界遺産を取ろうとするのかを、なるべく深く丁寧に説明しようと思います。タイトルにもありますが、最終的には幸せに生きて、幸せに死ぬことにつながります。
「ちょっと重すぎるタイトルじゃないの?」と思われるかも知れませんが、そのくらい真面目に語りたいトピックなのです。あなたの人生を変える力が、世界遺産検定にはあると私は信じています。
そもそも世界遺産のある理由って何?
まず前提知識を学びましょう。世界遺産を定義したユネスコは、その存在意義を次のように言っています。
『人の心の中に、平和のとりでを築かなければならない』
つまり、世界遺産は平和のためにあるということですね。これについては次の記事にまとめていますので、時間のある時にながめてみてください。
あまりに立派な思想で教科書どおりの定義です。本来なら世界遺産が大好きなしましまも、「そうだ、そのとおりだ!」と言って盛り上げる立場なのですが、今日は別な切り口から攻めましょう。
普通の人は、そんな大きすぎる話はしっくりこないと思いますし、単なる偽善じゃないかと言われておしまいです。平和のためは紛れもない大義名分ですが、大切なことはしっかりとあなた自身も幸せになれるかどうかということなのです。
幸せになるための基本的な考え方
本題に入りましょう。
私が世界遺産を勉強する理由を説明していきますが、すこし回りくどくなります。なぜなら、アドラー心理学から回り込む必要があるからです(汗)。
皆さんは、数年前に話題となった「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」(岸見一郎/古賀史健 著、ダイヤモンド社)を読んだことはありますか?私はこの本を読んで、非常に衝撃を受けました。
特に気になったのが「共同体感覚」という概念です。この概念を一言で言うのは難しいのですが、自分本位で生きるのではなく、他者あるいは世界とつながっていることを意識し、それに貢献しようとする感覚となるでしょうか。正確で無かったらすみません。
本の文脈では、幸せに生きるためにはこの共同体感覚を持つことが必要である、という流れがありました。
この概念を学ぶことで、私は長年不思議に思っていたことが解消することができました。それは、幕末の日本における謎です。
「多くの日本の維新志士たちは、なぜ自分の命を投げうってまで、日本を変えようとしたのだろうか。」
現代の我々は、幕末の維新志士の格好良い生き方に憧れますが、これが当の本人となれば話は別です。戦いの中で命を失うかもしれない。変わった後の日本の姿を見ることはできないかもしれない。それにも関わらず、後の世代のために自分の命を投げうつことが本当にできるでしょうか。
自分のためだけだったり、身近な家族のためだけであれば、外国に侵略されようが、安泰に暮らすことはできたかもしれません。でも、その何倍もスケールの大きな日本を思って、彼らは命をかけたのです。
人間の心理として本当にそんなことができるのか、私は本当に不思議でした。死というものはどう考えても不幸なものなのに、なぜ恐れずに突き進むことができたのか。これは、幕末の日本に限らず、他の戦争・紛争・革命において戦った人間すべてに言えるかもしれません。
しかし、アドラー心理学の共同体感覚という概念が答えを示してくれました。私なりの解釈が入りますが、次のような感覚だったのではないでしょうか。
一人の人間として生きるのではなく、日本という大きな生き物の一細胞として自分の命はある。自分は、普通の細胞として平凡に生きることもできれば、癌細胞になり命を脅かす存在にもなりうる。しかし、できることなら翼をさずけるような変化を起こす細胞として生きたい。私は最後にアカとなって、はがれ落ちようとも、日本は生きつづけるだろう。
このような心理が幕末の志士たちを突き動かしていたのではないでしょうか。彼らは日本に対して、共同体感覚を持っていたため、死を恐れず行動できたのだと思います。誤解を恐れずに言えば、志半ばに倒れた志士も、幸せな死に方ができたのではないかと思います。
共同体感覚を持つことで、幸せに生き・幸せに死ぬことができる。しかし、この考えを自分に落とし込むには、ひとつ大変な作業をしなければなりません。
共同体感覚を持つためには、愛を持たなければならない
共同体感覚を持つためには愛を持たなければならないのです。いきなり愛を語るとは頭がおかしくなったかと思われそうですが、これもアドラー心理学に沿った内容です。「幸せになるために、共同体感覚を持とう!」と言ってすぐに持てるほど、話は単純ではありません。
いままで自分とはつながっていないと思っていた他人を、あるいは世界を一つの共同体として認識するなんて、ましてそれに対して愛を持つなんて、普通の人にはいきなり無理な話です。共同体感覚を持つというのは、あまりに抽象的で、いざ実践しようとすると具体的な方法を自分で考えないといけないんですね。
「これは困ったな」と思ったときに、ふと思い出したのが世界遺産検定でした。実はこの世界遺産検定は、地球・人類に対して愛を持つための秘策なのです。
人間が何かに愛を持つ条件として、次の二つのことがあげられます。
歴史(ストーリー)を知ること
何かの研究者や、アニメオタクに関しても、必ずその歴史(ストーリー)を知ることでその対象にハマっていくものです。歴史を知れば愛を持てますし、愛すればさらに歴史を知りたくなるのです。あなたが愛するあの人?に対しての気持ちと同じですね。
コレクションすること
体系的に分類されたものであれば、それをコレクションすることで愛着がわきます。収集家や鉄道オタクなどはこの気持ちが分かると思います。たまごっちやポケモンなどもこの心理をついていますね。おかげで熱狂的に愛するファンを手に入れています。
世界遺産検定は、これらの条件が二つとも揃っています。地球・人類に関して歴史を知る楽しみと、コレクションをする楽しみを同時に味わうことができ、最終的にそれらに愛を持つことができます。
難しいと思われた共同体感覚を持つことですが、今ではこの考え方を何となく理解し、実践することができている気がしています。地球・人類に対して愛を持ったとき、あなたは初めて共同体感覚を手にすることができるのです。
幸せに生きて、幸せに死ぬためには
どのくらい伝わったかすこし不安ですが、これが私が世界遺産検定を勉強する理由です。世界遺産は世界の平和のためにありますが、それが共同体感覚を醸成し、最後には個人も幸せにすることができます。
人の中には、自分のためだけに生きてやると言う方もいるかもしれません。もちろん人それぞれの生き方なので、どのように生きるかは自由です。自分のためだけに生きたとしても、幸せに生きることはできるでしょう。
しかし、死ぬときはどうでしょうか。今まで築き上げてきたものをすべて失います。とてつもない喪失感と恐怖に苛まれる気がしてならないのです。
私はこれからも幸せに生き、幸せに死ぬために世界遺産を勉強します。あなたはどんな人生を送りたいと考えていますか?地球・人類という共同体の一部として生きてみませんか?
以上、しましまでした。
コメント
[…] […]