こんにちは、しましまです。
赤山靱負(あかやまゆきえ)が無念の死を遂げてしまいました。。。
吉之助や正助はさぞ無念だったでしょう。
しかし、この騒動からついに斉彬が動き出します。
いよいよ薩摩が生まれ変わるときですね。
それでは今回も名言を振り返ってみましょう。
今回の解説を少し
気になった単語や設定がいくつかありましたので、振り返りたいと思います。
薫陶(くんとう)とは
まず気になったのは、吉之助の次の言葉です。
われら幼き頃より赤山先生の薫陶(くんとう)をば受けてきもした門弟にございもす!
薫陶という言葉は、「徳のある人物から影響を受け、人格的が磨き上げられること」という意味です。
単に教育を受けたというだけではなく、人として大きな影響を受けた時に使われますね。
お世話になった先生に向けてのあいさつなどで耳にする方も多いと思います。
お香をたいて薫りをしみこませながら、土をこねて陶器を作ることからこの言葉が来ているようです。
自分の教え子にこう言われたら、悪い気はしないのではないでしょうか。
茶入れは隠居勧告!?
さて、島津斉興が将軍から茶入れを賜るシーンがありました。
解説によるとそれは暗に隠居勧告を示しているそうですが。。。
江戸時代の娯楽と言えば、茶の湯ですよね。
つまりは隠居して茶の湯でも楽しんでくれという意味があります。
茶入れだけでなく、十徳(茶の湯でつかわれる羽織)を送られることもあったようです。
私も、定年退職される先輩に向けて趣味の書道セットを送ったことがあります。
しかし、今回は本人が隠居宣言をする前に、先に贈り物をするわけです。
かな~り嫌味ですよね(笑)。
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赤山靱負の最期の言葉
今回の名言の紹介です。まずはあらすじから。
赤山靱負の切腹を前に、お通夜状態の吉之助たち。
そこに当の本人が酒をもってやってきます。
彼にとっては最後の晩餐、楽しいひとときを過ごしたいと思っていました。
語り合う赤山たちのもとへ、糸がふかした唐芋を持ってきます。
以前助けた半次郎がお礼に持ってきたものだと言います。
門弟たちを前に赤山が言います。
おはんらも、こん芋と同じじゃな。一人一人姿形も違えば、それぞれ考え方もちごっ。こいからもこん郷中ちゅう桶ん中で、ぶつかり合うて切磋琢磨して、立派な侍になってくいやい
言葉をかみしめるように聞く吉之助たち。
宴はつづくのでした。
個性を尊重する赤山の教育
教育と聞くとどうしても、先生から「ああしなさい、こうしなさい」と一方的に擦り込みをされるイメージです。
しかし、赤山の教育は違いますね。
形も考え方も違う、、、つまり一人一人の個性を認めています。
そして、いびつだからこそぶつかり合うのですが、それも良しとしています。
その互いの切磋琢磨により、立派な侍になれるのだと。
これが赤山靱負の”薫陶”の中身だったのでしょう。
赤山靱負は享年二十七歳。
あまりに若い最期でした。
(しましまより若い。。。)
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教育するって難しい
今回は赤山と、門弟たちの関係性に胸を打たれる回でした。
そして、個性を認め他人とぶつかり合って人間が磨かれていくという赤山の教育方針に、とても共感しました。
他人との摩擦を恐れていては、立派な人間にはなれないんですね。
教育的な観点で、前にこんな記事を書きました。
次回からは、いよいよ藩主となった斉彬の活躍に期待しましょう。
それにしても渡辺謙の、一つ一つの動作に品がありすぎて目が離せません(笑)。
やはりハリウッドスターは違いますね。
以上、しましまでした。
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コメント
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